全てが必要なこと、と言えるか?
失敗は成功の基と言いますが、やはり失敗は誰でもいやですよね。
捨ててしまいたい、隠しておきたい過去があるものです。
私も過去に様々な失敗を経てここにいます。
これは中学校の同窓会での出来事。
当時生徒会長をしていた柴田に運営担当から乾杯の挨拶が依頼されました。
そして同窓会当日、勢いよく挨拶に立ったのですがあれやこれやと
話したいことが口から出てしまい、席にいた同窓生たちから
「おい、なげーぞ!」の嵐(笑)
ついには、「もう、いい!カンパーイ!」と。
あぁ、やってしまいました。
人前でつい気持ちよくなってしまい必要以上に挨拶をしてしまう、
という最悪な失態を犯してしまったのです。
このブログを書きながら、今でもその光景が浮かんできます。
胃がキューゥっとなるような感覚が再来します。
中学生まで柴田は超が10個ほど付けられるような真面目少年でした。
卒業アルバムに映る柴田はいつも「気をつけ」の状態です。
10代半ばに差し掛かった頃、休憩時間はいつも一人。
時に短期間ではありますが、いじめの対象になったこともあります。
そんな自分でも今こうして人前に立って話すことができる。
もう少し調子良ければ、爆笑を起こすことだってできるかもしれない。
そして、貴重な再会の夜に何か記憶の爪痕を残すことができたと
今は少し自慢げに思うようになりました(それでもキューゥっとなりますが)。
「全てが必要なことだった。そうでなければ、この状況は迎えていない」
柴田が敬愛する方の言葉です。
その方、過去に大きな過ちを犯しました。柴田の失敗など取るに足らないほどです。
ですが、その失敗を糧に今、人生で最高の時間を迎えています。
「今がいちばんいい」と。
失敗は突然起こるものですが、人生において不要なものなどないのです。
全てが必要なこと。
これからまたどこかで失敗するかもしれない自分に投げかけたい言葉の一つです。