必要なグレー
グレーゾーンという言葉があります。
白でも黒でもない曖昧な領域や状態を指すわけですが、
この曖昧な部分が人には欠かせません。
嘘は万死に値するほどの罪でしょうか?
嘘も同様に必要な時があります。
何が言いたいのかと言うと、世の中、人の世というのは
そう簡単にすっきりできるものではないということです。
「はい、論破!」
未だにこのようなフレーズをネットで見かけます。
ですが、相手を論破した先にあるのは一体何?
つい、私は問いかけてしまいます。
とある有名人が違法薬物を使用した事件で世間が騒いでいます。
違法である以上、許されないのは当然です。
司法判断以後も社会的制裁という名の下、厳しい道のりが待ち受けています。
ですが、彼にも生きる権利があります。
チャレンジしたいことやこだわりもあるでしょう。
(もちろん二度と違法行為はNGですが)
社会的制裁と書きましたが、果たして私たち一般人に彼を
裁く権利などあるのかいつも疑問に思うわけです。
見たくない聞きたくなければ、目を耳を閉じれば良いだけ。
自分があたかも神になったかのように、罪を犯した人を
断罪する風潮や考えに強い違和感を感じます。
グレーゾーンという曖昧な部分は誰しも持ち合わせています。
そのグレーゾーンがあるからこそ、人を受け止めることが
できるのではないかと最近感じるのです。
白黒はっきり付けられたら確かに楽です。
しかしあえて白黒つけず、多様な人を受け入れられる社会で
あってほしいと、彼が頭を垂れるニュース映像を見ながら感じました。